技術資料
やわらかサイエンス
宇宙開発(前編)
1961年、人類は初めて有人宇宙飛行を成し遂げました。「地球は青かった」という言葉で知られるユーリ・ガガーリンによる功績です。近代になってから人は空を目指し、研究開発を行っています。日本でも度々ロケットや人工衛星の打ち上げで盛り上がっていますよね。
さて、今回は「宇宙開発」と題しまして、宇宙開発の始まりと日本の宇宙開発の話をしていこうと思います。
宇宙開発の始まり
きっかけは、第二次世界大戦後に始まったソビエト連邦とアメリカ合衆国による冷戦です。両国は長射程戦略ミサイルの開発を推進しており、このミサイルの推進力と制御力の向上が、後に人工衛星の打ち上げに大きく貢献します。空における武器の開発が推進されると同時に、米ソ両国は宇宙空間の軍事的な重要性に着目し、宇宙開発は世界のリーダーとなる上で不可欠であると認識しました。空、ひいては宇宙での覇権争いです。こうして宇宙開発の時代の幕が開きました。
1957年10月、ソ連は人類初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げました。これに続いて1958年1月にはアメリカも人工衛星「エクスプローラー1号」の打ち上げに成功します。同年、アメリカは宇宙開発の推進を目的として国家航空宇宙局(NASA)を設立しました。一回くらいは聞いたことのある名前が出てきましたね。さて、これら人工衛星の打ち上げの成功により、宇宙開発が現実のものとなったため、1958年の第13回国連総会決議1472に基づいて『国連宇宙空間平和利用委員会(COPUOS)』が設立され、宇宙空間における条約(世界的なルール)の作成作業が開始されました。しかし、宇宙開発の進展はこの条約が発効する前にも止まることはありませんでした。

人工衛星の打ち上げが成功したとなれば、次の目標は有人衛星の打ち上げです。これが成功したとなれば、宇宙開発をより一層発展させられることになりますし、何より宇宙開発技術の信頼性の裏付けになります。自国の技術力を誇示するため、先手を打ったのはソ連でした。ソ連は1960年8月にライカ犬を乗せた「スプートニク8号」の成功に続き、1961年4月にユーリ・ガガーリンを乗せた「ポストーク1号」による人類初の有人軌道飛行を成功させました。その約1ヶ月後、アメリカは宇宙船「フリーダム7」による有人飛行を行いましたが、これは弾道飛行であり「ポストーク1号」のような軌道周回飛行ではありませんでした。アメリカが有人軌道飛行に成功した宇宙船「フレンドシップ7」の打ち上げに成功したのは、1962年2月と約1年後のことでした。

有人飛行の成功となれば続くは地球に近い衛星、月への到着をめぐる争いです。1966年2月、ソ連は無人衛星「ルナ9号」を月面に到着させましたが、アメリカも同年5月に「サーベイヤー1号」を月に到達させました。少しずつ縮まっていった技術格差が逆転したのは1969年7月、アメリカの有人宇宙船「アポロ11号」が月面着陸に成功したときでした。ソ連はアポロ11号の打ち上げの4日前に無人宇宙船「ルナ15号」を打ち上げていましたが、これは月面に到達したのみで地球への帰還はかないませんでした。
米ソ間での宇宙開発技術が接近し逆転した頃、COPUOSの法律小委員会の立法作業は大詰めを迎えていました。1966年の第5回会期にて合意された条約草案は、12月19日の国連総決議2222として採択され、宇宙活動の憲法にあたる宇宙条約は翌年1967年10月10日に発効されました。条約草案決議に際し、宇宙空間の「平和的利用」の解釈は米ソ間にて争いがあったようですが、現在は「非侵略的利用」との意味で理解されています。そもそも米ソ両国ともに宇宙開発を担っていたのは軍部でしたから、このあたりの争いは避けられなかったのかもしれません。
戦後、世界の主導権を争う戦いは空よりも高い宇宙における支配を巡るものとなり、これによって今まで曖昧だった宇宙の法的地位が明確化された時代と言って差し支えないでしょう。その後、米ソ両国による宇宙協力に関する会談が始まるのは、1971年になってからのことでした。
前編では、宇宙開発のはじまりを紹介しました。こうした出来事は、実はまだ数十年前のことにすぎません。宇宙開発の歴史は、私たちが思うよりもずっと若いのですね。
後編では、日本の宇宙開発を紹介します。
参考文献
1)宇宙法
1-1)第一章 解説
2)有人宇宙飛行の歴史(宇宙航空研究開発機構)
3)JAXA 宇宙科学研究所
3-1)宇宙科学研究所とは/歴史
3-2)日本の宇宙開発の歴史[宇宙研物語]
4)東京大学 先端科学技術研究センター
4-1)先端研ヒストリー 先端研設立までの歴史
5)糸川英夫 生誕100年記念サイト
※最終閲覧日 2024/11/29