技術資料

やわらかサイエンス

熊野の奇岩 -熊野古道のもう一つの魅力-(後編)

担当:藤原 靖
2024.01

中編では、付加体・堆積体・火成岩体のそれぞれの特徴が様々な景観を作っているジオサイトのうち、信仰と結びついた那智の滝と産業として育まれた那智の黒石について紹介しました。後編では浸食によって形成された奇怪な景観が見られるジオサイトを紹介します。

浸食された凝灰岩の景観

浸食されやすい岩石である流紋岩質凝灰岩の奇怪な景観が見られる場所として、花の窟(はなのいわや)と鬼ケ城(おにがじょう)を紹介します。2つは近く、2つとも海岸沿いで火成岩体と付加体の境界のような場所にあります。

<花の窟(はなのいわや)>
花の窟は、信仰と結びついた場所で、浸食された凝灰岩の奇岩をご神体としています。花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産んだあと、火神・軻遇突智尊に灼かれて亡くなり葬られた神社で、日本書紀にも書かれている日本最古の神社といわれています。花の窟も2004年に登録された世界遺産に含まれています。

花の窟では2月に春の例大祭、10月に秋の例大祭を行います。大祭では舞の奉納と170mの大綱を岩窟の上の地上45mの高さにある御神体から境内南隅の松の御神木に渡す、御綱掛け神事が行われます。

左:紀伊半島の地質での花の窟・鬼ケ城と橋杭岩の位置(紀伊半島の地帯区分の一部を加工)、右:花の窟に鎮座する丸石
左:紀伊半島の地質での花の窟・鬼ケ城と橋杭岩の位置(紀伊半島の地帯区分の一部を加工)
右:花の窟に鎮座する丸石
左:地上45mの御神体、右:自然に切れるまで残された大綱が見える岩窟
左:地上45mの御神体
右:自然に切れるまで残された大綱が見える岩窟

<鬼ヶ城(おにがじょう)>
浸食されやすい岩石である流紋岩質凝灰岩からなるもう1つの異様な景観が見られるのが海岸景勝地である鬼ヶ城です。
鬼ヶ城は、志摩半島から続くリアス式海岸の最南端に位置し、熊野灘の荒波や強風で浸食された岩々が地震による隆起によって階段上に並び、熊野灘に面して約1.2km続いている場所です。

鬼ヶ城で見られる浸食された岩は、かつては波による浸食でできた洞窟とされていましたが、今では風化洞穴(タフォニ)とされています。風化洞穴は風によって浸食された地形です。岩石の表面にある亀裂などに海水飛沫が付着して浸透し水が蒸発することが繰り返され、その結果、塩類の結晶が成長することで岩石の構造を壊して浸食が進みます。浸食でできた特徴的な形状の1つが蜂の巣状構造です。

鬼ヶ城は、1935年に国の天然記念物に指定され、2004年に登録された世界遺産の一部でもあり、日本百景にも選定されています。

左:鬼ケ城の案内図、右:蜂の巣状構造
左:鬼ケ城の案内図、右:蜂の巣状構造

浸食で残った貫入岩の景観

串本町には橋杭岩(はしぐいいわ)と呼ばれる奇岩群があります。海岸から紀伊大島に向かって大小約40の岩が約850m南西に一列に並んでいます。直線的に並んでいる岩がまるで橋の杭のように見えることから、橋杭岩と呼ばれています。

橋杭岩は、堆積体の熊野層群の泥岩に火成岩体である石英斑岩が垂直に貫入しました。泥岩は柔らかく、石英斑岩は硬いので、浸食によって貫入した石英斑岩が杭状に残ったと考えられています。このような強度の違いによる浸食を差別浸食と言うそうです。

左:橋杭岩、右:津波石
左:橋杭岩        右:津波石

付近の海岸には直径2mを超えるような大きな岩がごろごろ横たわっています。これらの巨石は、この地域を襲った東海・東南海・南海地震の連動型であった宝永地震による津波で運ばれたもの、津波石とされています。岩石の表面に残る化石の年代推定や秒速4m以上の流速が必要とされるエネルギー的にも3連動の地震と考えられています。

橋杭岩は、吉野熊野国立公園にあり国の天然記念物です。また橋杭岩を通して見る朝日は日本の朝日百選の認定されるほど非常に美しい景観です。

熊野の奇岩 -熊野古道のもう一つの魅力- は如何でしたでしょうか。
前編では、熊野古道の参詣道のルートと付加体・堆積体・火成岩体のそれぞれの特徴が様々な景観を作っている紀伊半島南部の地質、中・後編ではそれぞれの地質的な特徴が様々な景観を作っているジオサイトについて紹介しました。那智の滝や花の窟は信仰と結びついたジオサイトでした。
紀伊半島南部には、その他たくさんのジオサイトがあり、大変興味深い景観が見られます。世界遺産熊野古道の参詣道を歩いた際には、是非、ジオサイトも訪ねてみて下さい。

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