技術資料

やわらかサイエンス

巨石と津波 -何度もあった三陸の津波と津波石-(前編)

担当:藤原 靖
2019.11

2011年3月11日、宮城県牡鹿半島の東南東沖約130kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、観測史上最大のM9.0を記録し、東北地方から関東地方の太平洋沿岸部に大勢の犠牲者と壊滅的な被害をもたらしました。さらにこの巨大地震では大きな津波が発生して未曾有の被害を蒙りました。

このような大津波のエネルギーは、津波石の存在から想像することができます。今回のやわらかサイエンスでは、前編では三陸の津波石、後編では南西諸島の津波石について紹介します。

三陸は過去に何度も大きな津波にあっています。869年の貞観大津波、1611年の慶長大津波、1793年の寛政津波、1896年の明治三陸津波、1933年の昭和三陸津波、1960年のチリ地震津波、2011年の大津波です。

■明治の三陸大津波

明治三陸大津波は、1896年(明治29年)6月15日に発生した三陸沖約150kmを震源とするM8.5の巨大地震とその大津波です。大津波により北海道から宮城県にかけて人命と家屋などに甚大な損失を蒙りました。

明治三陸大津波では、岩手県田野畑村の羅賀(らが)地区の標高28mの地点に打ち上げられたとされる津波石が残っています。この津波石は粒の粗い石灰岩(カルカレナイト)の直方体で、およそ長さ2~3m、幅2m、高さ1.5mで推定重量約20トンの巨石です。巨石の中には小さな米粒のようなオルビトリナと呼ばれる約1億1千万年前の浅海に生息していた有孔虫の化石が含まれています。このオルビトリナを含む元の地層は海岸部にあることから、津波石は、その場所から約400m西側に津波により移動してきたとされています。

左:羅賀の津波石(大路樹生・大石雅之:岩手県田野畑村羅賀の津波石はどこからきたのか?化石、95、1-4、2014より抜粋)、右:吉浜津波石(大船渡の観光と物産(一般社団法人 大船渡市観光物産協会)
左:羅賀の津波石(大路樹生・大石雅之:岩手県田野畑村羅賀の津波石はどこからきたのか?化石、95、1-4、2014より抜粋)
右:吉浜津波石(大船渡の観光と物産(一般社団法人 大船渡市観光物産協会より

■昭和の三陸大津波

1933年(昭和8年)3月3日には、昭和三陸大津波が発生しています。岩手県沖約250kmの海底を震源とするM8.1の巨大地震と大津波です。この地震でも三陸など各地で多くの人命と財産が失われています。

この大津波で大船渡市三陸町吉浜に流れ着いたのが吉浜津波石です。津波石は長さ3.7m、幅3.1m、高さ2.1mで重さは約30トンの巨石です。漁港の整備に伴う道路工事で一度は埋められていたそうですが、東日本大震災により再び地上に姿を現したそうです。

現在は津波記念碑として、「津波の威力を忘れるな」、「災害は忘れた頃にやってくる」という警鐘を鳴らすために展示されています。

■平成の三陸大津波

東北地方太平洋沖地震で発生した大津波によって海中から浜に打ち上げられたと見られる石が神の倉の津波石です。この津波石は地元の漁師さんによって発見されました。石の大きさはいずれも高さ3m以上で、大きいものは高さ約6m、幅5mもあります。周囲の岩場の岩石と違って、白っぽい色をしています。津波の威力を直接目で確認でき、手で触れることができる貴重な震災遺構とされています。

神の倉の津波石(気仙沼さ 来てけらいん(気仙沼観光推進機構より抜粋)
神の倉の津波石(気仙沼さ 来てけらいん(気仙沼観光推進機構より抜粋))

巨石と津波 ~何度もあった三陸の津波と津波石~(前編)はここまでです。
後編では南西諸島の先島諸島の津波と津波石の特徴や謎について紹介します。


※資料等最終参照日:2019年11月

ページの先頭にもどる