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やわらかサイエンス

地底の森ミュージアム -地層の下に水田遺跡-(後編)

担当:藤原 靖
2019.08

前編では、「地底の森ミュージアム」に関連して後背湿地と垂柳遺跡(たれやなぎいせき)を紹介しました。後編では地底の森ミュージアムのある富沢遺跡の弥生時代の水田跡と湿地の環境について紹介します。

■弥生時代から近世までの稲作

垂柳遺跡発見の2年後の1983年に富沢遺跡の弥生時代の水田跡は発見されました。富沢遺跡の場合は、河川の洪水で埋もれながらも再生を繰り返し、水田としての利用が近世まで継続されたことが分かる遺跡です。

水田跡からは、大畔(おおあぜ)によって大きな区画を作り、その中を小畔(こあぜ)が小さく分割していたことが分かっています。それらの区画は、ヨシなどが繁茂する湿地の中で、人々のアプローチや作業が容易な場所に作られ、洪水などの影響で場所を移しながら稲作が営まれたと考えられています。遺跡からは、木製の鋤や鍬、稲の穂摘み用の石包丁などの道具類も数多く発見されています。

富沢遺跡は、水田の形式、自然条件の変化への対応、農耕技術の変遷などを通して、東北地方の稲作文化を知ることができる貴重な遺跡となっています。

水路、畝、区画の様子がわかる調査時の掘削・清掃跡の状態を示した画像

■湿地の開拓と洪水からの再生

本来湿地には湿地を好む植物が繁茂していました。それを人々が刈り取り、根や地下茎などを除去して水田に開拓したものです。当時は人力だけで鉄器も十分に使用できないので、その労力は想像を絶するものがあります。

富沢の水田地帯は、種々の水田に適した条件が揃った価値の高い場所だと思います。そのため多大な労力をかけて作り上げた財産として、再生しながら長い年月にわたって水田として利用されてきたと想像します。

水田として利用しつづけることには、その他にも重要な意味があったのではないかと推測します。人間が手を加える続けることで湿地に戻らせない、水田という土地の価値の持続性です。現代でも減反政策や後継者難で水田に限らず農地の耕作を一旦放棄すると、放棄した期間によっては再び農地としての利用が難しいと言われています。

■湿地の植物、ヨシ

水田を作っていた場所は、ヨシ(葦)などが繁茂する湿地です。ヨシという植物は池や湖などの岸辺でよく見かける植物です。一方でアシという植物の名前も聞いたことはないでしょうか。「人は考える葦である」のアシです。実は、ヨシとアシは同じ植物ですが、アシは「悪し」につながるので、ヨシを使うそうです。

またヨシと同じような形と大きさでよく見かける植物にススキ(薄)とオギ(荻)があります。ヨシ、ススキ、オギの違いは、葉では筋の有無、殖え方が株になるか、穂の先端の形状、のぎや毛の有無がありますが、特徴的なことは、多湿な環境にはヨシが生育しますが、環境が乾性になるにしたがってオギ、ススキの順に生育するようになることです。茅葺(かやぶき)の屋根に使われるのは主にススキです。お月見でススキを採ることがあったら、殖え方は株か一本ずつか、ススキかオギか、観察してみて下さい。

ススキ、オギ、ヨシの違いを示した図

ついでに水辺に繁茂するヨシから、水の中の植物について見てみましょう。水辺や水の中で生育する植物を水生生物と言います。水生生物は、その生育する状態によって5種類あります。

抽水植物:茎の下部が水面下にあるもので、アシ、ガマ、ハスなどです。
浮葉植物:水底に根があり葉を水面に浮かべているもので、アサザ、ヒシ、ヒツジグサなどです。
沈水植物:水底に根があり葉が水面下にあるもので、マツモ、クロモ、セキショウモなどです。
浮水植物:茎や葉が水面上にあり根が水中に垂れているもので、ウキクサ、ホテイアオイなどです。
浮遊植物:茎や葉が水面下にあり根がないもので、タヌキモ、ムジナモなどです。

地底の森ミュージアム -地層の下に水田遺跡-(後編)はここまでです。 東北地方の弥生時代の稲作と人びとの生活を想像して頂けましたでしょうか。次回からは地底の森ミュージアムの2つ目のトピックス、氷河期の湿地林遺跡について紹介します。


※資料等最終参照日:2019年8月

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