技術資料

やわらかサイエンス

羊牧場の巨大なお皿

担当:重廣道子
2003.02

2003年最初のやわらかサイエンスとなる今回は,新年の干支,ひつじにちなんで,ひつじ牧場の中の巨大なお皿のお話です。

オーストラリアにパークス(Parkes)という,人口15,000人の町があります。この町から25kmほど北に行くと,羊牧場の一角に巨大な電波望遠鏡が見えてきます。この電波望遠鏡は,家庭で衛星放送を受信するための,サテライトディッシュの特大版のような形をしています。この特大のお皿は,世界の人々をテレビの前に釘付けにした, 1969年の人類初の月面歩行の映像を受・送信する,という大変な役割を果たしました。月面着陸というアポロ11号の特務成功は,NASAの偉大な業績として知られていますが,その陰には,オーストラリアの科学者と,パークスの町の人々の支援もあったのですね。今回は,このパークスの電波望遠鏡についてお話をします。

パークス観測所の電波望遠鏡は,1961年10月31日に,公式に落成されました。世界で2番目に大きな電波望遠鏡で,”お皿”の直径は63メートル,重さは1000トンあります。このお皿のデザインは,NASAにも採用されました。パークス観測所は,Commonwealth Scientific and Industrial Research Organization (CSIRO) のAustralia Telescope National Facility (ATNF) という機関により管理されています。

現在は,お皿の基礎のみが,1961年の建設当時のままで,お皿の表面,コンピュータなどは,常に時代の最新鋭の科学技術を駆使して改良が続けられています。このお皿は,人類初の月面歩行の映像を受・送信しただけでなく,最初のクエーサーや,宇宙の磁場を発見するなど,様々な功績を立てています。このパークス観測所の過去の業績から,人類初の月面歩行の映像を世界へ送信することになった,その背景を少しだけ振り返ってみましょう。この世界中継は,もう少しで失敗する危機に遭遇していたのです。

NASAのアポロ11号の特務を成功させるために,世界各地でいくつかのステーションが,宇宙飛行をしているアポロ11号を追跡する,という任務を受けました。パークスは,これらステーションの内の一つでした。1969年7月21日月曜日,6:17 a.mオーストラリア東部標準時間に,アポロ11号の月着陸船イーグルが月面に着陸した,という連絡が入りました。少なくとも後7時間経たなければ,パークスから月は見えません。ところが,アームストロングは,休憩を取ってから月面歩行をする,という最初の計画を変更し,直ぐに月面歩行を開始する,と言い出したのです。急いでテレビ中継のための準備をしなければいけません。しかし,信号を受信するためには,どの方向・角度にお皿を向ければ良いのでしょう。更に追い撃ちをかけるように,時速110kmの強風が吹き始め,お皿を吹き飛ばそうとし始めました

もちろん,既に歴史に残っているように,パークスステーションはこの危機をのりこえ,無事にイーグルからの映像を受・送信することに成功しました。

パークスで受信されたイーグルからの信号は,極超短波のリンクを通じてシドニーへ送られ,そこからテレビ用の信号が配信されました。信号は,オーストラリア国内のテレビネットワークと,世界テレビ放送のために,ヒューストンへ送られました。シドニーからヒューストンへ信号を送信するためには,太平洋上空の衛星を介し,地球を約半周しなければなりません。このために,シドニー-ヒューストン間でおよそ0.3秒のずれが生じました。更に,ヒューストンでは,宇宙飛行士に事故が発生した場合に備え,信号を受信した後,6秒間待ってから映像を世界へ送信することにしました。つまり,オーストラリアの人々が月面歩行をテレビで見た6.3秒後に,他の世界の人々がテレビで同じ映像を見ることが出来た,ということなのです。世界人口の約1/5が,アームストロングとオルドリンの月面歩行の様子をテレビの前で見ていた,と言われていますが,世界の誰よりも先に映像を見ることが出来たのは,オーストラリアの人々だったのですね。

この巨大なお皿の話を知るきっかけを私に与えてくれたのは,実話に基づいてオーストラリアの人々の手によって作られた,「月のひつじ-the Dish」という映画でした。全く宇宙科学に興味がない人でも,科学者でも,科学者でない人でも,子供も大人も,誰でも楽しむことができる映画です。一体どのようにしてパークスステーションの人々が危機を乗り越えたのか興味がある方は,是非この映画をご覧になってください。まるで1969年にタイムスリップをし,パークスの人々と一緒に,アポロ11号からの映像をテレビの前で待っているような気分になります。この映画が公開されてから,パークス観測所を訪れる観光客がとても増えているのだそうです。

「月のひつじ」は全て事実に基づき作られているのではなく,創作されている点もいくつかあります。フィクション抜きの話を知りたい方,パークス観測所の場所,詳しいお皿のデザイン,アポロ11号のテレビ中継の詳細に興味がある方は,https://www.parkes.atnf.csiro.au/を参照して下さい。パークス以外の観測所の苦労話も紹介されています。例えば...実は,同じくオーストラリアのTidbinbillaにあるステーションからアポロ11号のテレビ映像が配信される予定でした。ところが,アポロ11号が月面着陸を果たす三日前の7月18日に,Tidbinbillaの送信機に火災が発生してしまいました。送信機は直ぐに修理されたのですが,この火災により,NASAはTidbinbillaの管理体制に疑問を抱くようになり,Tidbinbillaからの中継の予定は変更・中止されてしまいました。もしTidbinbillaで火災が発生しなかったら...と,もちろん思いますが,月面歩行の世界中継が成功した,という事実は, NASA, Tidbinbilla, Parkes,その他多くの計画に携わった全ての人々に共有されるべき功績であることに変わりないでしょう。

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