
たまには山に登ろう!!(前編)
先日,同僚5人とともに登山に行ってきました。挑んだ山は会社からほど近い場所に位置する丹沢山(神奈川県秦野市/伊勢原市にまたがる)です。日頃,自宅-会社間とを行き来するだけの生活なので,たまには山に登って気分転換をしようという軽い気持ちでした。今回のやわらかサイエンスは,いつもと少し雰囲気を変えてこの丹沢登山体験記をやわらかサイエンス風にまとめていきたいと思います。
私たちの登山ルートは,表丹沢縦走コースと呼ばれており,表丹沢で眺望の一番良いといわれるコースです。ヤビツ峠から二ノ塔から三ノ塔,鳥尾山,行者岳,新大日そして,このルートの中で最も標高の高い塔ノ岳(1491m)まで登り,その後は別の尾根筋から大倉まで下る尾根登山ルートです。
丹沢山地では他にもいろいろな登山ルートがあります。秦野市環境協会のサイトに掲載されておりますので,興味のある方はご覧下さい。

表丹沢縦走コース>>歩行距離:約14.5km/歩行時間:約5時間40分(時間は目安/我々は8時間)
-丹沢の生い立ち-
そもそも,丹沢山地はどのようにして生まれたのでしょうか?
約1500万年前の丹沢山地は,現在よりもはるか南に位置しており,岩石や化石から亜熱帯であったとされています。その後,少しずつ,プレート運動によって北上し,やがて,約600万年前に今の関東山地と衝突したとされています。この衝突の境界は,現在の伊勢原~清川村煤ケ谷~津久井町青野原付近まで延びる「青野原-煤ヶ谷構造線」と呼ばれる断層として残されています。
その後,約100万年前にやはり南からやってきた伊豆半島が北上してきて,丹沢山地と衝突したとされています。その丹沢山地と伊豆半島の境(丹沢山地の南縁)は「神縄・国府津-松田断層帯」と呼ばれる断層として残されています。いわば,丹沢山地は今は関東地方の一部として悠然と存在しておりますが,関東山地と伊豆半島に間に押されながら今に至っているというわけです。
AM9:00 ヤビツ峠登山道入り口
秦野駅に集合し,バスでヤビツ峠に向かおうとしましたが,バス停には,私たちと同じヤビツ峠に向かう登山者で長蛇の列になっていたため,バスは諦めタクシーでヤビツ峠まで向かいました(4000円程度)。
ヤビツ峠に着いてから徒歩20分程度でヤビツ峠登山口に到着し,登山開始です。天気は薄曇りといった状況で,半袖だとやや肌寒いかなといった気温でした。登山道入り口から最初の頂上である二ノ塔までは高低差が約500m近くあり,急な勾配が続きます。今にして思うと,この最初の登りが最もきつかった!!登山道は,狭くジメジメとした登り坂が続いて,5人の挑戦者を苦しめました。


-丹沢「ヤマビル」にご注意!-
ここ最近,この丹沢ではある生物が生息地を広げていることがわかってきました。それは,「ヤマビル」です。そのため,山間部の茶園などの作業者など人への吸血被害が多数報告されています。そこで,神奈川県ではヤマビル対策共同研究計画の実施を行っています。(※4)
その調査報告書によるとヤマビルは赤褐色で背中に3本の黒い線があることが特長で,シカなどの動物の血液を吸って生きており,1回あたり30分から1時間かけて約1mLを吸血するそうです。また,DNA分析により,ニホンシカ,イノシシ,タヌキなどの動物を多く吸血していることやシカの爪の間などに入り込んで,シカとともに寄生していることもわかってきています。対策としては,薬剤を使った試験や牛を放牧して雑草をなくし,ヤマビルの生息数を抑制するものなどさまざまな取り組みがあるようです。
AM10:00 二ノ塔到着
私たち,5人はヤマビルの被害も会わず,無事二ノ塔に登頂しました。頂上付近では,秦野市街地を一望できる場所があり,自分たちがこんな所まで来たかと感じさせる場面もありました。また,登山道にはフジアザミが咲いており,きれいな彩りを見せていました。二ノ塔で小休止をした後,さぁ今度は,三ノ塔です。



-丹沢の地質-
さきほど,丹沢山体は南の海からプレート運動によって北上し,本州と衝突したというお話しをしましたが,では,この丹沢山体自体はどのような地層が認められるのでしょうか。今から1200~1700万年前,中新世といわれる地質時代,南の海では火山活動により大量の凝灰岩や火山角礫岩などの火山砕屑岩・火山岩類いわば,火山噴火に伴う岩石が誕生しました。それが,現在の丹沢山体を構成する主要な地層群:丹沢層群 となっています。丹沢層群 は,さらに年代ごとに細区分されており,古い地層から,「塔ノ岳亜層群」「大山亜層群」「煤ヶ谷亜層群」の順に続いています。
さらに,丹沢山体中心部(現在の西丹沢,畦ヶ丸周辺)に地下深部から大規模の石英閃緑岩やトーナル岩といった貫入岩体が突き上げ,丹沢山体が全体として東西に延びたドーム状の背斜構造(上に凸の構造)が形成されたと言われています。また,この貫入岩体の影響で塔ノ岳亜層群の一部は,熱による変成(接触変成作用)によって生じる接触変成岩が形成されています。
AM10:20 三ノ塔到着
二ノ塔から三ノ塔までは,一旦下ってまた,登るルートです。それほど,勾配もきつくありません。さらに,途中で富士山が眺望できます。やはり,富士山をみるとおもわず声をあげてしまいました。三ノ塔まで来ると,これから通る鳥尾山,行者岳,新大日そして,塔ノ岳を一望することができます。



-丹沢と斜面崩壊-
丹沢山体では斜面崩壊が多数発生していることが知られています。私たちが通った水無川の沢の尾根沿いルートでも多数認められました。横浜国立大学の「生物・生態環境リスクマネジメント」成果報告集には,GISを用いて解析をおこない,この丹沢山体の斜面崩壊の誘因,「豪雨」と「地震」についてデータをまとめられています。
それによると,対象エリアの1985年から1996年までに起きた豪雨による斜面崩壊は501箇所,総面積0.5km2,一方,1923年の大正関東地震における斜面崩壊は5404箇所,総面積は21.6km2でした。つまり,1923年の大正関東地震のような大地震は,11年間に豪雨による斜面崩壊数の約11倍,総面積では約43倍の被害をもたらしています。そのため,丹沢山体の斜面崩壊は大地震の影響を大きく受けているということになります。
しかし,この「豪雨」と「地震」の2つ誘因の斜面崩壊発生箇所は,分布する地質の違いによって異なることがわかっています。さきほど,お話ししたように丹沢山体中心部は石英閃緑岩やトーナル岩が分布しています。
さらに,その周辺には丹沢層群の火山砕屑岩・火山岩類が分布しています。単位面積あたりの斜面崩壊個数でみると,「豪雨」では石英閃緑岩やトーナル岩分布地域で多く認められ,その一方,「地震」では丹沢層群の火山砕屑岩・火山岩類分布地域に多く認められる傾向があります。
石英閃緑岩やトーナル岩分布地域では風化によりマサ化することで,強度が低下し,「豪雨」により雨水を吸水することでさらに著しい強度低下を引き起こすことが原因と説明しています。このように,「地震」や「豪雨」などの誘因と「地質」や「地形」など素因の組み合わせで発生場所や規模などの傾向が変わってくることがわかってきています。
PM12:20新大日到着
予定では,塔ノ岳でお昼を食べることにしていましたが,新日大ですでにお昼になってしまっていましたので,ここで昼食をとることにしました。昼食中,私たちの後ろになんとも不思議な実をつけている植物をみつけました。この植物は,黒い大きな袋から赤い実がいくつも出ています。あとで調べてみると「マムシグサ」であることがわかりました。昼食後,一息ついてさぁ,残すは塔ノ岳です。

-恐るべき「マムシグサ」-
この「マムシグサ」についてもう少し詳しく調べてみると,面白い植物であることがわかりました。マムシクサは,サトイモ科で春に花を咲かせます。その姿は,ミズバショウのように花を包む苞(ほう)があり,その姿は,マムシに似ていることをたとえてマムシクサと名付けたかもしれません。その苞(ほう)を仏炎苞(ぶつえんほう)といいます。わたしたちはすでに仏炎苞は枯れ落ちてありませんでしたが,開口部から入った虫は,内部の構造で出られなくなり,これを利用して受粉して実をつけるというとても驚きの植物です。
さらに,前回のやわらかサイエンス(ヒガンバナが掲げるレッドカード?!)の話にも出てきましたが,実や特に球根に神経性の毒成分が強く,刺激痛やけいれん,めまいなどを引き起こすとされています。今後,このような戦略に出ているマムシクサは,どのような進化を遂げていくのでしょうか。
いよいよ頂上間近です。頂上到達、下山の様子は後編で紹介します。
※1 本多泰章,[GIS を用いた斜面崩壊のハザード分析-新潟県中越地震(2004年)と関東大地震(1923年)を例として-],全国測量技術大会2006学生フォーラム発表論文集,2006,8,pp.5-10
※2 石川正弘,7.丹沢山系における斜面崩壊文部科学省21 世紀COE プログラム「生物・生態環境リスクマネジメント」成果報告書
※3 太田 英将,石黒 均, 岩橋 悟, 新妻 信明,[丹沢山地東部の地質],静岡大学地球科学研究報告,1986,pp 153-159
※4 神奈川県ヤマビル対策共同研究推進会議ホームページ
※5 秦野市観光協会ホームページ