
環境科学における炭素同位体の利用
炭素は土壌を含む上部地殻および流体地球に広く存在し、酸素、水素、窒素などと共に地球上の生物圏(バイオスフェア)の生命活動にとって重要な役割を担う元素のひとつです。自然界の炭素原子には12C、13Cおよび14Cの三つの同位体が存在します。その内訳は、安定同位体である12Cが約99パーセント、同じく安定同位体である13Cが約1パーセント、そして放射性同位体である14Cが約1兆分の1となっています。
1.炭素同位体による古環境の解明
食物連鎖の生産者である植物が光合成によって炭素同化を行うとき、質量数が小さく軽い12Cの方が、13Cや14Cよりも植物の体内に取り込まれやすいという物理化学的性質を持ちます。もし温暖湿潤な気候が地球全体をおおい植物が繁茂して全球のバイオマスが増加しだすと、軽い12Cは生物圏のほうにシフトするので大気環境中の12Cは減少し、相対的に重い13Cと14Cの割合が増加します。反対に地球の寒冷乾燥化が進み植物が枯れてバイオマスが減少すると12Cは生物圏から大気中に放出されるので、大気環境中の12Cは増加し13Cと14Cの割合が減少します。
そのような地球の気候変動にともなう炭素同位体の変化は植物のみならず、食物連鎖のなかで生産者から消費者へと生態ピラミッドの栄養段階中に記録されることになります。生態ピラミッド中の生物が死後化石になると、その中の炭素同位体は生物が生きて代謝を行っていた時代の生物圏の栄枯盛衰を反映して保存されることになります。

ただし炭素同位体のなかでも放射性同位体である14Cは、β線(電子)を放射しながら壊変の法則に従い、やがて線香花火の終焉に似て消滅します。そのため、14Cは太古の地球環境の記録として残ることはありません。
他方12Cと13Cは安定同位体であり、余程の高温高圧状態にならない限り、いつまでも原子核は変化することなく安定です。地球科学において化石中の12Cと13Cの割合の変動は、数億年前の全球凍結事件(スノーボールアース)や顕生代の海洋無酸素イベントなど、地質時代の古海況の復元や大量絶滅の解明に利用されています(※1,2)。

12Cと13Cの痕跡を探すイメージ
2.放射性炭素14Cの利用
さて14Cは、半減期5730年でβ崩壊により電子を放出して窒素に変わります。
14C ==> β線(電子) + 14N
ところで、化石エネルギーの起源である太古の炭素は石油や石炭などの古い地層中から産出しますが、その地質年代は数千万年から数億年のオーダーなのでβ崩壊の半減期5730年からすると、最初に含まれていた14Cはほとんど完全に消滅しています。
14Cを失いβ崩壊が終了した太古の炭素は一般に、化石炭素(デッドカーボン:dead carbon)と呼ばれます。この14Cを含まないデッドカーボンと、14Cを不偏的に含む現世の炭素(contemporary carbon)の物理学的性質の違いから、工業製品が「植物原料由来」か「石油化学製品」なのか見分けることができます。
たとえば、トウモロコシなど現代の農作物から製造したバイオエタノールには、原料の作物とほぼ同じ割合で14Cが含まれます。一方石油から生成した合成エタノールは14Cを含まないので、バイオエタノールの混合率を測定することができます。同様に、天然植物成分100パーセントを謳う化粧品中に石油化学製品が混入されていないか、放射性炭素14C測定法により検査することが可能です。また半減期が5730年であることから、象牙を使った加工品がおよそ1万年前に絶滅したマンモスの牙か、貿易を制限されている現代の象のものか、真贋の鑑定に利用されたことがあります。

3.大気汚染の調査における放射性炭素14Cの利用
14Cは太古の地球環境の研究に利用することはできませんが、現代の都市大気汚染の調査に応用できることが明らかとなりました(※3,4)。大都市における大気汚染を引き起こす化石燃料の大量消費は、同時に大量のデッドカーボンからなる膨大なCO2を人工的に大気環境中に発生させます。化石燃料消費における大量のデッドカーボンの発生によって、大気環境中の14Cは拡散希釈を受け、炭素同位体(12C、13C、14C)全体に占める14Cの割合は減少していきます(14Cの同位体比の減少)。
このように、環境中の炭素同位体比を変化させるような現象を「炭素同位体効果」といいます。言い換えると、化石燃料に由来するデッドカーボンの吸収によって、都市部の街路樹は、環境中で起こった炭素同位体効果を「体組織の中に記録している」とも言えるのです。つまり大気汚染が進む大都市の植物中の14Cは、離島などの非汚染域の植物に比べ、その割合が減少し、それにともなってβ線の比放射能も減少します。
4.離島と大都市の放射性炭素14C濃度(比放射能)
0.246±0.001 Bq / gC (1996年7月、礼文島礼文岳)
これは1996年7月にサンプリングした、礼文島礼文岳(標高490m)の頂上付近に生育するカバノキの葉中の14C濃度(比放射能)です。ここでBqはベクレルのことで、1秒間に自然崩壊して放射線を放つ原子の数です。gCはグラムカーボンのことで、質量1グラムの炭素のことです。Bq / gC は比放射能のことで、炭素1グラム当たり1秒間にβ崩壊(自然崩壊)してβ線(放射線)を放つ炭素原子の数となります。
つまり、炭素中のC14の割合はβ線の比放射能で表すことができます。放射線物理学ではβ線の比放射能をもって、14Cの濃度といっております。
0.211±0.001 Bq / gC (1996年10月、東京都大田区松原橋交差点)
次にこれは1996年10月の東京都大田区松原橋交差点の街路樹である、アオギリの葉中の14C濃度です。松原橋交差点は日本で最初の立体交差点であり、1日に13万台の交通量がある最も顕著な大気汚染フィールドのひとつとして有名です(※5)。
松原橋交差点のデータを礼文岳と比較すると、実に142パーミル(千分率)も14C濃度が減少し、交差点で強烈な炭素同位体効果が起こっていることを示しています(同位体の研究では千分率を用います)。これは、環七通り(都道318号)と第二京浜(国道1号)の二つの幹線道路が立体交差する重畳効果によって、CO2が高濃度に発生していることを交差点の街路樹の14Cが示していると言えます。
ここで、化石燃料による汚染を受けていない標準大気中のCO2濃度を[CO2]とし、その非汚染大気中の14C濃度をAとします。また、化石燃料の燃焼により発生したCO2の濃度を[CdO2]とし、そのとき汚染された大気中の放射性炭素14C濃度をBとすると、次の関係が成り立ちます。
B=A・[CO2]÷([CO2]+[CdO2])
この式において、Aに礼文島の14C濃度、Bに松原橋の14C濃度を代入すると、松原橋交差点の大気中のCO2濃度は標準大気と比較して、約17%増加していることが計算されます。もし東京都内で二酸化炭素の連続測定が行われると、松原橋交差点に続く多くの汚染域では10%以上の上昇が観測されると推測しています。
5.自動車排出ガス測定局で観測されている汚染物質と葉中の放射性炭素14C濃度
現在、国内外の各都市の多くの自動車排出ガス測定局(以下測定局)で、大気汚染のモニタリングを目的とした精密な連続測定が行われています。測定局で測定している汚染物質は、窒素酸化物、硫黄酸化物、一酸化炭素、浮遊粒子状物質(SPM)などです。自動車などから排出されるCO2は基本的に人畜無害であり、沿道大気環境でその毒性が問題になることはほとんどありません。そのため、他の有害な汚染物質に比較すると桁違いに大量に自動車から排出されるにもかかわらず、大気汚染の測定局ではCO2はモニタリングされていません。
図1は、1996年に東京の測定局で観測された窒素酸化物の濃度と、測定局のそばの街路樹から採取した木の葉の14C濃度との関係をグラフにしたものです(※4)。

図1 放射性炭素14C濃度と窒素酸化物濃度の関係
グラフの横軸は1996年10月中旬に東京都内をザックと高枝切り鋏をかついで、測定局が設置されている交差点を巡回して近くの街路樹から集めた、アオギリやプラタナスなどの広葉樹の葉中の14C濃度です。縦軸の窒素酸化物の濃度は東京周辺の植物の生長期間を4月~10月とし、一般に公開されている測定局の窒素酸化物のデータから、日の出時刻から日没までの時間平均値を計算しました。その結果、図1のように沿道大気環境において、葉中の14Cと窒素酸化物が高い負の相関性(r=-0.93)をもって存在していることが明らかとなりました。
6.グラフが示すこと
東京のような大都市では、過密な自動車交通によって引き起こされる交通渋滞や、交通量の多い幹線道路が二重三重に立体交差するなどして、交差点付近の大気環境には大量のデッドカーボンが投入されています。沿道大気環境中にデッドカーボンが大量に発生すればするほど、光合成を行う街路樹の葉は大気中から希釈された14Cを記録するので、グラフの横軸の14C濃度は減少して左にシフトします。
またこの様な自動車交通のエネルギー消費の大部分が、化石燃料の主成分を占めるデッドカーボンの酸化熱の利用なのです(真発熱量)。すなわち沿道の葉中の14Cは、交差点における自動車交通の化石燃料の消費を指標します。
もし仮に道路を走行する車すべてが環境にやさしい電気自動車に変わるか、あるいはバイオディーゼルのみ燃料とすると、デッドカーボンの発生はないので自動車交通による大気中の14Cの希釈は起きず、横軸を左に移動することはありません。その様なことは今すぐに実現可能なことではありませんが、たとえば、交差点においてアイドリングストップ、エコドライブ、低燃費車の普及、公共交通機関の利用による渋滞緩和など、自動車社会の化石燃料の消費を減らす取り組みが功を奏すと、汚染の著しい交差点の14C濃度は上昇してグラフの横軸を右にシフトすることになります。
グラフの縦軸は有害な窒素酸化物の濃度なので、大気汚染による単位大気あたりの環境負荷が表されています。つまり、図1のグラフは沿道大気環境における、消費活動と負荷活動の関係を示していると考えられます。
言うまでもなく多くの人々が生活を送る沿道と背後の大気環境にとって、人体に有害な汚染物質の濃度を少しでも減少させることに努め、縦軸の下方へ負荷活動を低減させることが急務となっています。また温室効果ガスであるCO2の排出について、アイドリングストップや渋滞緩和などにより、横軸の14C濃度が右側へ移動するように、エネルギー消費が集中する交差点でのデッドカーボンの浪費を減らすことが求められています。つまり、交差点における自動車交通の環境効率(Eco-Efficiency)を高めることと、そのモニタリングが必要になってきます。
図1のデータは今から13年も前のものですが、是非また東京で環境調査のフィールドワークを実施したいと思います。そのとき交差点における環境効率に変化があるかどうか。近年、地球と都市の大気環境について社会の関心は高まり続けていますので、以前調査した交差点で環境効率の改善が認められれば良いのですが・・。
昼夜自動車の排気ガスに曝されながらも、無心に大気汚染を記録している街角の木々を見ていると、とても嬉しくなりフィールドワークの励みとなります。

※1 『小特集:7億年前に地球は全球凍結状態におちいったか』科学,Vol.70,No.5,2000,p366-420
※2 熊澤峰夫,丸山茂徳編,プルームテクトニクスと全地球史解読,岩波書店,2002,p403
※3 D.Ogawa, Y.Sakurai, O.Yamada : Quantitative analysis of air pollution by means of C-14 concentrations in plant leaves, Radioisotopes, 45, 780-783, (1996)
※4 小川大介, 櫻井善文, 山田治 : 東京における自動車排出ガスと放射性炭素(C-14)濃度に関する研究, 環境と測定技術, 26, 76-84, (1999)
※5 松原橋交差点における環境対策(東京国土事務所サイト)