
ヒガンバナが掲げるレッドカード?!

曼珠沙華咲く野の日暮れは何かなしに きつねが出ると思ふ大人の今も
(木下 利玄 作)
秋に向かって日が短くなり、風も涼しさを増した夕暮れに、田畑の畦道で真っ赤な花をつけるヒガンバナ。
小学校か中学校かは定かではありませんが、教科書で覚えたこの短歌は、故郷の風景と重なり、郷愁をかき立ててくれます。当地北海道ではヒガンバナは自生していないため(※1)、なおのこと故郷の風景が鮮明に思い出されます。
ヒガンバナは、諸説あるものの、縄文時代に食糧として中国大陸から持ち込まれたものとされています。
人の手によって植えられ、田んぼの畦道や川の土手、お寺や墓地など、人の暮らす場所あるいはかつて人間の生活した痕跡が残っているところに群落を作って咲く「人里植物」です。畦道や土手の土が崩れるのをヒガンバナの根によって防いだり、豊富なデンプンを蓄える球根を飢饉などの時に食糧としていたようです(※2)。
そしてヒガンバナを特徴付ける最大の特性として、リコリンやクリニンなどのアルカロイド系の有毒物質を持っているということが挙げられます(※1)。
ヒトがヒガンバナの球根を食糧にする際には、それらの有毒物質によって死に至る場合もあるので、しっかりと毒抜きをしなければなりません。また、他の植物の生長阻害効果や動物への忌避作用があることから、ヒガンバナを土手に植えることで雑草を抑制したり、土手に穴を開けてしまうモグラやネズミ除けに使ったり、またあるいは、埋葬した遺体を守る意図で植えられてきたと言われています(※2)。

■リコリンの構造式のイメージ図
ヒガンバナが持っているリコリンのように、植物が産生する化学物質が、環境に放出されることによって、他の生き物に直接または間接的に影響を与える作用のことを「アレロパシー(多感作用)」と言います(※3)。広義には、植物のみならず、昆虫や微生物が影響を及ぼしあう作用も含まれます。
昔の人々は、ヒガンバナのアレロパシーを経験的に理解し、農耕文化の中にうまく取り入れていったのです。
ブタクサやススキといった雑草も、アレロパシー物質を作ることによって、その陣地を拡大していきます。雑草のみならず、オオムギ、アスパラガス、リンゴなどの栽培植物も、アレロパシーを起こす物質を生産しています。
動くことができない植物にとって、アレロパシーとは、微生物との共生関係(※4)や環境に対応した形態・性質の獲得(※5)などと並び、自らの陣地を拡大するために獲得した生存戦略の一つであると言えるでしょう。
ところで皆さんは、PRTRという制度をご存じですか?
PRTRはPollutant Release and Transfer Registerの頭文字を取ったもので、日本語では「化学物質排出移動量届出制度」とされています(※6)。
有害性のある化学物質(354物質を指定)の発生源、そして環境への排出量などに関するデータを公表していこうと、2001年に法的に制度化されました。従業員数や対象物質の年間取扱量が一定以上であり、かつ、指定業種(23種)の事業所に対し、届出が義務づけられています。
環境省のホームページでPRTRに関するデータを閲覧できます。
みなさんは、どれほどの指定化学物質が、環境中に排出されているか想像できますか?
平成19年度に指定事業者から届出のあった環境中への総排出量は、1年間で約23万トン。一方、指定外事業者、自動車などの移動体、散布された農薬・殺虫剤、医薬品、洗浄剤・化粧品などの、届出外の排出量は推計で約29万トンでした。
ここで言う「排出量」とは、煙突からの排出や、河川・湖沼・海などへの放流などを指します。つまり、届出・届出外を合わせた50万トンを超える膨大な排出物はいずれも、地球環境(陸地・海洋・大気)の持つ浄化作用に、その末路を委ねているのです。
「そう遠くない昔」であれば、地球環境は人類の排出物を、適度に希釈し分解してくれる許容能力を持っていたでしょう。しかし、たとえば霞ヶ浦、琵琶湖などの例を見ても分かるとおり、許容能力を超えて汚染されてしまった環境の改善に、莫大な時間と労力がかけられ続けていることは周知の通りです(※7、※8)。
京都大学工学研究科准教授の松田知成氏は、特に太平洋の希釈容量を例に挙げ、「人類の生産活動の巨大さに比べると、もはや太平洋はそれほど大きくない」と、地球規模での有害化学物質に対する取り組みの重要性を挙げ、警笛を鳴らしています(※9)。

一方で、東京大学海洋研究所教授の植松光夫氏が、いくつかの研究例を引用し、興味深い話題を提供しています(※10)。
- 汚染物質として大気中に放出された窒素化合物が、海洋の植物プランクトンにとっての窒素肥料となり、それによって増加した植物プランクトンが二酸化炭素を吸収して温暖化を抑制する(亜酸化窒素も生成されるため効果は一部相殺される)
・・・そして、エアロゾル(固体や液体の微粒子が空気中に浮遊している状態))は、太陽から降り注ぐ光を反射することで、温暖化を抑制する働きがあると言われていますが・・・。 - 植物プランクトンによる生物生産が高くなると大気エアロゾルが増える
- ヨーロッパでは、大気汚染防止策によって汚染物質由来のエアロゾルが減少し、急激な温暖化を引き起こしていた
つまり、汚染物質がエアロゾルを形成して直接的に、そして、植物プランクトンを介して間接的に、温暖化を抑制していた、と言えるかも知れないのです。
植松氏は、「地球温暖化を抑制するには、大気汚染物質を大量に放出すればよい。・・・しかし、これら一連の過程に伴うフィードバックについては、まだほとんどわかっていないのである。」と結んでいます。
地球環境における様々な現象に潜む複雑なメカニズムを、われわれはまだ解明できていないのは事実です。人類が地球環境に与えた負荷によって自らの首を絞め、仮にその負荷を人の手によって「解決」しても、それが新たな負荷の「原因」となって人類に襲いかかってくる、そんな負のスパイラルをイメージさせます。

話は戻って、アレロパシー物質を作る身近な植物(身近になってしまった植物)として、セイタカアワダチソウがあります(※3)。
昭和初期に日本に入ってきた帰化植物ですが、至る所に大群落を見ることができます。
セイタカアワダチソウがここまで繁茂した理由として、草丈が3mに及ぶほど大きく、かつ落葉落枝が大量に地表面にたまるため、他の植物が群落に侵入できないことがあげられますが、何より、他の植物の根が伸長できないように、cis-DMEというアレロパシー物質を根から放出することが知られています(※11)。
アレロパシー物質で日本国内を席巻しているセイタカアワダチソウですが、近年、その勢力が衰退してきていると言われています。
実は、セイタカアワダチソウは、他の植物を駆逐するアレロパシー物質が根圏に蓄積することにより、自家中毒を起こしているのです。
ここに、多くの人が、われわれ人類の今後起こりうる事態、あるいは今既に起きつつあるのかも知れない事態を重ねていると思います。人類が播いた「毒」は、既に大気、海、大地の至る所に行き渡り、しかも、「毒」を取り除けば別の「毒」が・・・。
人類が地球上で自家中毒に達してしまう閾値が、もう目の前に迫っていると感じてしまいます。

下記は、劇作家であり演出家である鐘下辰男氏が、新聞紙上に寄せたエッセーの中での文章です(※12)。
大学で学生に聞いた。
『小さい頃知らない人からお菓子を貰った。母親はなんて言ったか?』
私たちの頃は『お礼を言ったか』である。
今は『絶対食べてはいけない』だ。
お礼はもちろん、そもそも『知らない人には近づくな』と教えられた学生がほとんど。
演劇は「他者」と「会話=コミュニケーション」すること、という鐘下氏は、社会におけるコミュニケーションが変貌し、多くの「地域」が疲弊していると訴えています。
そして、文章に示されたように、
「他者」を「敵」として認識せねばならぬ「社会」をいつの頃からかつくってしまった。
ことへの危機感を募らせています。
地球環境は人類にとって、駆逐すべき「敵」でも、排除すべき「毒」でもありません。恐ろしいのは、人類が地球環境そのものを「敵」として「認識せざるを得ない」という事態です。セイタカアワダチソウのように自家中毒の道を進むのか、コミュニケーションによって共生の道を進むのか。有史以前から私たちの身の回りで咲く赤いヒガンバナの花は、まるで私たち人類の「毒抜き」の必要性をそっと警告しているようです。
※1 栗田子郎,『ヒガンバナの博物誌』,研成社,1998,p181
※2 稲垣栄洋,『身近な雑草の愉快な生き方』,草思社,2003,p246
※3 今村壽明,『化学で勝負する生物たち(I)-アレロパシーの世界-』,裳華房,1994,p131
※4 やわらかサイエンス No.41 共にいきてこそ
※5 やわらかサイエンス No.21 雪を融かす「炎の植物」
※6 環境省;PRTRインフォメーション広場
※7 (財)茨城県科学技術振興財団 霞ヶ浦水質浄化プロジェクト
※8 (財)琵琶湖・淀川水質保全機構
※9 松田知成,「第6章: 地球の隅々にまで広がった環境汚染-環境と化学物質」,京都大学地球環境学研究会,『地球環境学のすすめ』,丸善,2004,p80-93
※10 植松光夫,「大気汚染が地球温暖化を抑止する?」,日本地球惑星科学連合ニュースレター,Vol. 5,No. 3,2009,p1
※11 根本正之,『雑草たちの陣取り合戦-身近な自然のしくみをときあかす-』,小峰書店,2004,p115
※12 北海道新聞2009年8月24日朝刊 エッセー ~北の地から北の地へ~