やわらかサイエンス

風邪対策のニュー(乳)フェイス

第55回担当:秋山 克(2009.02)

年が明けて、丑年も2月に突入しました。


牛と言えば昨年は、飼料代や燃料代の高騰で、酪農業に携わる人たちの生活が圧迫され、家計の優等生である牛乳も値上げせざるを得ない状況となりました。しかしそれ以前には、生産調整政策によって、生乳が廃棄されるという事態も起こっています。バターが店頭からしばらくの間その姿を消していたこともありました。


牛乳を注いでいる図

あなたが手にしている1杯の牛乳が、どれくらいの時間をかけて手元に届けられているか、ご存知ですか?


牛乳は生鮮食品ですから、酪農家が牛乳を搾乳して、物流に乗り、販売店を経て、食卓に上るまでは、長くても数日間といったところでしょう。では、流通以前の、搾乳までに要する時間はどれくらい必要なのでしょうか?


当然の事でありながら、意外と忘れられてしまっていることがあります。それは、子牛を産まなければ牛乳は出ない、ということです。


では、牛が生まれたところから1杯の牛乳を手にするまでを考えてみましょう。


生まれた子牛は、1年以上にわたって大切に育成されます。そして早ければ15ヶ月前後、体重が350kgに達したところで繁殖です。つまり子牛を産ませるべく妊娠させます(※1)。牛の場合は、胎児として280日前後の間、母親牛のお腹の中にいることになります(※2)。いよいよ出産という一大イベントを経て、母親牛は乳を出し始めます。しかし分娩後すぐに搾乳することはできません。市販牛乳用の搾乳は、分娩後5日以上経ってからようやく行われます。


トータルで最初の搾乳まで約2年間という長い期間が必要だということが、みなさんにも分かっていただけたと思います。今まさに手にした1杯の牛乳には、少なくとも2年分の酪農家さんの苦労と、牛という生命の営みが詰まっているんですね。牛乳に限らず、私たちの口に入る農産物や海産物などの多くのものが、昨日仕込んで今日食べられるものではない、ということを忘れないようにしたいものです。


放牧している牛のイメージ

上の記述でも触れましたが、乳および乳製品の成分規格等に関する省令により、分娩後5日以内のもの(初乳)は出荷することができません(※3)。それは、いわゆる標準的な牛乳と比べて、初乳は成分が異なるためです。


このことはヒトでも同じで、出産後すぐに出る初乳は黄色みを帯びて粘り気があります。そして移行乳の期間を経て、7-10日で成熟乳となります(※4)。


この初乳は、母親のお腹から外の世界へ出たばかりの赤ちゃんにとって、とても大切な役割を果たします。


赤ちゃんは胎盤を通してIgG(免疫グロブリンG)という免疫物質をもらっていますが、さらに母乳には免疫物質IgA(免疫グロブリンA)が含まれています。生まれたての赤ちゃんは、まだ免疫のシステムが十分ではありません。母乳に含まれる免疫物質は、赤ちゃんを病気から守るはたらきをしています。特に初期の初乳はIgAを高濃度に含むことから、できるだけたくさんの初乳を飲ませることが推奨されています(※5)。


もちろん牛乳は、元来、生まれてきた子牛のためのものです。牛の場合、胎盤を介して免疫グロブリンが子牛に移行しないため、生まれた後に乳を通して免疫物質を受け取ります。そういったこともあり、牛の初乳にも免疫物質が高濃度に含まれています(※6)。


赤ちゃんイメージ画像

では、牛から、この免疫物質が高濃度に含まれる時期の乳を拝借して、ヒトの健康に役立てることができないのでしょうか?そんな視点から研究が進められており、近年、牛の初乳が持つ機能性がヒトにも有効であることが明らかにされつつあります。


昨年、後期初乳(分娩後6~7日後の乳)に、ヒトの風邪の予防・回復に役立つ効果があることが、小林製薬から報告されました(※7)。牛の初乳成分を含有するタブレットを飲んだ子供が風邪を引きにくくなり、さらには風邪を引いてしまった子供にそのタブレットを飲ませると回復が早くなる、という調査結果が出たのです。このことは、免疫グロブリンが、種の枠を超えて機能しうることを意味しています。インフルエンザウィルスに対しても、細胞表面でバリアを形成し、さらにはウィルスを無害化する可能性も示されています。


鳥インフルエンザウイルスがヒトに感染する被害のように、家畜の感染症がヒトの健康を脅かす事態となっています。それとは逆に、牛の免疫力を借りることによって、そうした健康被害を防ごうという試みが実を結びつつあると言えるでしょう。


ただ、それらの研究成果が示したことは、牛乳さえ飲めば風邪にかからない、ということではありません。やわらかサイエンスでも再三触れていますが、バランスの良い食事が最も大切ですし、うがいや手洗いなど身近にできる予防法を実践すること、これが風邪に対抗する有力な手段でしょう。


数千年前からの付き合いがある牛とヒト。今年はこれまで以上に強力な、そして、新たなパートナーシップを築く丑年になりそうな予感がします。




参考資料
※1 (社)山口県畜産振興協会/繁殖関係記述より
※2 酪農学園大学/牛の妊娠・分娩・泌乳のメカニズムより
※3 (独)農業・食品産業技術総合研究機構 動物衛生研究所
     乳及び乳製品の成分規格等に関する省令
※4 母乳と手づくり離乳食~1歳までの発達と育児~ 監修 岡本曉 婦人之友社 2007
※5 厚生労働省:「授乳・離乳の支援ガイド」の策定について
※6 乳の科学 上野川修一 朝倉書店2000
※7 小林製薬株式会社 ニュースリリース2008年11月