
DNAが刻むカウントダウン
6月10日の「時の記念日」が近づくと話題に上る花があります.トケイソウです.3本の雌しべが時計の針のように見えることからその名が付いたようです.また,英名でPassion flowerと言い,その実(passion fruit)が食用にされる種類もありますが,この場合の「passion」は「激情」ではなく,「キリストの受難(the Passion)」を意味しています.確かに,花の構造の各部分が,十字架や茨の冠を表しているように見えてきます.
雄しべや雌しべの形が偶然にもトケイソウのように変異した個体が,他の個体あるいは別の花の形と比べて,生存に有利だったのでしょう.染色体の中でそうした変異が積み重なって,今まさにこのトケイソウの形状を獲得するに至ったと考えられます.宇宙が生まれ,地球が生まれてから止まることのない時間軸の上で,「生命」の時計がその針を進めているように,トケイソウの時計の針も進化の歴史を刻んでいるのです.
ところで,私たちの染色体の中には,寿命のカウントダウンを行っている「時計」があります.
それはテロメアと呼ばれるDNA末端構造です.
テロメアについての解説の前に,寿命について考えてみましょう.
生きとし生けるものは必ず死を迎える,ということを私たちは知っています.「散ればこそいとど桜はめでたけれ」(伊勢物語・八二段)にも例えられるように,人生に限りがあるからこそ,生のある今を尊く感じられるのかも知れません.しかし,花は散りますが,桜の樹体そのものは生きています.屋久杉などのように何千年と生き続ける樹木もあれば,冬の到来で枯れる一年生の草花もあります.トケイソウも,花そのものには寿命がありますが,その株は多年草です.一般的に一年草と思われているトマトは,制御された環境下でずっと生長し続けることが,1985年の筑波科学万博で展示された「トマトの木」でも示されました(※1).
また,1951年にヘンリエッタ・ラックス(Henrietta Lacks)さんという女性がガンのため亡くなりましたが,彼女から摘出されたヒーラ細胞(HeLa cell)と呼ばれるガン細胞は50年以上も継代培養によって増殖が行われ,今もなお生き続けています.
これらのことからも分かりますように,「細胞」の寿命と,細胞が集まった「個体」としての寿命は別個に考えなければなりません.一方で,個体の寿命を最終的に決定するのは,老年期に生活や生命を脅かす病気の発症,つまり細胞の「老化」の蓄積やそのスピードとも言われています。
そして,その細胞の老化現象を司る要因の一つとして注目されているのが「テロメア」です(※2).
われわれヒトを含めた真核生物の染色体は「線状」なので,末端となる部分があります.テロメアとはその染色体の末端部分にある構造で,特徴的な繰り返し配列をもつDNAと、様々なタンパク質からなる構造です.もし,染色体の末端が剥き出しの状態だとすると,DNA分解酵素などの驚異にさらされ,正常な機能を果たせなくなってしまいます.そこで,テロメアのような構造の「キャップ」をかぶせることによって,染色体の働きに安定性を持たせているのです。

ではこのテロメアが果たしている「時計」としての役割とはどういったものなのでしょうか.
細胞が分裂する時には,染色体も分裂します.テロメアは1万~2万塩基対の長さがありますが,分裂する度に50~100塩基対ずつ短くなっていきます。細胞分裂には約5,000塩基対以上の長さのテロメアが必要で,分裂が繰り返されると,いずれはテロメアで保護されているはずの染色体が隣の染色体と融合してしまうなどの染色体異常が発生してしまいます。細胞分裂回数とテロメアの残りの長さには相関が認められ,異なる年齢の人から採取した細胞を比較すると,年齢の増加とともにテロメアDNA量は減少して,最後には5,000塩基対に近い値になります。テロメアが「細胞分裂の回数券」と例えられる所以です。

では50年間も分裂して生き続けているHeLa細胞のテロメアはどうなっているのでしょうか?実はガン細胞には,そのテロメアを修復するテロメラーゼという酵素が活性化しており,分裂するたびに損傷するテロメアがリセットされているのです.テロメラーゼによってガン細胞は「永遠の命」を手にしたのです.有性生殖を行う動物の生殖細胞でもテロメラーゼ活性は高くなり,また,植物では,細胞分裂の盛んな部位ではテロメラーゼの活性が高いため,生存に好適な環境条件が整いさえすれば,上述の「トマトの木」のように,生長を持続させることができるのです。
しかし自分の体全体の細胞がテロメラーゼを活性化させれば,われわれも永遠の命を手に入れることが出来るのか,といえば話はそう単純ではなさそうです.仮に高テロメラーゼ活性を有しても,増殖の制御を微細なレベルで行わなければ,それは無秩序な異常増殖つまりガン細胞の発生につながるだけになってしまいます。
ここで一つ疑問が出てきます.分裂する細胞は,テロメア説で寿命を説明できますが,脳の神経細胞や心臓の筋肉細胞は「分裂しない細胞」です.それらの非分裂細胞の寿命はどのように決定されるのでしょうか?
一つの興味深い例があります.自分の故郷の川を遡るサケは,産卵受精をし終えるとステロイドホルモンの働きで筋肉や内臓がふやけ,とろけるようになって死んでしまいます.
産卵を終えたサケの「個体」は,次世代を残したことで生物種としてのサケの役割を果たした,ということなのでしょう.進化の仕組みはそのようなサケの個体をいっせいに殺してしまう仕掛けを作ったと言えます.そのように老衰とは関係なく,まるで精巧な仕組みに従って細胞が死を迎えることをアポトーシス(プログラム細胞死)と言います(※3).
老化し,寿命を持つ動物にはすべて非分裂細胞からなる臓器があることから,臓器で起こるアポトーシスが個体の寿命を決めているとも考えられるのです。
テロメアの寿命への関与を「回数券型」と呼ぶならば,アポトーシスのような現象は「定期券型」の寿命決定機構と言えるでしょう。

別の観点から「寿命」を見てみましょう.
東京工業大学の本川達雄教授は著書「ゾウの時間 ネズミの時間」で,心拍数一定の法則に触れています(※4).ゾウやネズミといった哺乳類は一生の間に,心臓は20億回脈打ち,呼吸は5億回行われ,さらに体重1kgあたりにすると,一生に使うエネルギー量は寿命の長さによらず一定である,というのです.ネズミの寿命は3年ほど,ゾウの寿命は100年近くなりますが,もし心臓の鼓動を時計として考えるならば,ゾウもネズミも全く同じ長さだけ生きて死ぬことになり,「一生」を生ききった感覚はゾウもネズミもそれほど変わらないのではないだろうか,と本川教授は述べています。
また体重と,標準代謝量(安静時のエネルギー消費量)は比例関係を示し,ネズミからゾウまでの(ヒトも含めて)さまざまなサイズの動物が,グラフ上で一本の直線に乗ってきます.生物学的に見れば,ヒトもやはり動物の仲間なのです。
しかし,われわれ「現代のヒト」は,石油や石炭といった一次エネルギーを大量に消費して社会生活を成立させています.本川氏はその点を考慮し,日本における国民一人当たりのエネルギー消費量を算出しました.すると,驚くべき事に(あるいは当然の帰結かも知れませんが),エネルギー消費の上から見ればヒトはゾウのサイズに匹敵するのです。
さらに,何種類もの哺乳類の平均体重と平均寿命との関係について調べられた結果によると,ある種の生物学的法則が存在し,大きいサイズの種ほど寿命が長いことが知られています.しかし,この法則でも現代の日本人は,重大な例外の一つであり,やはりゾウあるいはもっと巨大な生物に相当する寿命を持っているのです.東海大学の須田教授によれば,ヒトもその生物学的法則に則っていた時代があったといいます(※5).それは推定平均寿命が31歳だった縄文時代でした.医療や福祉の充実といった社会基盤の整備に加え,大量のエネルギーが投入された社会構造によって,現代のヒトは長い寿命を手に入れたと言えるかも知れません。

2004年7月,静岡県掛川市に「"早く,安く,便利に,効率よく"とスピードを追求してきた20世紀を全面否定するのではなく,無価値と思いこんでいた"スロー"の価値をもう一度見直してみよう」との主旨で,NPO法人スローライフ掛川が発足しました(※6).地域の食材を活用した食文化,一生かけてじっくり勉強を続ける生涯学習,車から降りて自転車や自分の足を使って歩く,そういったスローペースの生活スタイルを実践していこうという試みです。
一方,酵母や線虫などを対象にした実験で,寿命の制御と関連があると思われる遺伝子の働きが明らかにされつつあります(※7).そしてそれらの遺伝子は,「カロリー制限」による寿命の延長とも関連があると言われています.従来から「カロリー制限」には,老化に伴う主要な疾患の発症を遅らせたり予防したりする効果のあることが示されてきました。「腹八分目に医者要らず」のメカニズムが遺伝子レベルで解き明かされようとしています(※8)。
「脂肪分を多く含む」高カロリー食品を食べ過ぎることが体に良くないことは確かですし,「生産する過程で一次エネルギーを大量消費した」という意味での高カロリー食品は,地球環境の寿命に良くないこともわれわれは感覚的に知っています. まさに掛川市をはじめとしたスローライフ活動が求める「生活の質の向上」に通ずる考え方がそこにあるように思います.巨大生物「ヒト」の,身の丈にあった生活スタイルへの一大転換と言えるでしょう。
高度化した文明は,地球の資源搾取を続け,さらに自らの手によって核兵器や地球温暖化の不安をもたらしています.人類の滅亡までの残り時間を象徴的に示す「終末時計」(※9)は今年ついに「5分前」となりました.細胞レベルでカウントダウンされる寿命の時計テロメア.しかしわれわれは細胞レベルや個体レベルはおろか,生物種としての存亡をかけたカウントダウンの真っ只中にいるのです.地球上で連綿と受け継がれる「生命」という花が回数券を使い切り,枯れてしまうことがないように,われわれも身近にできる取り組みから始めていきましょう。

京都府立植物園 <2005年6月10日「初夏の彩り」>より
参考資料
※1 『植物はなぜ5000年も生きるのか 寿命からみた動物と植物の違い』(2002)鈴木英治,講談社,p229.
※2 『老化時計』(2002)白澤卓二,中央公論新社,p176.
※3 『アポトーシスの科学 プログラムされた細胞死』(1994)山田武,大山ハルミ,講談社,p254.
※4 『ゾウの時間 ネズミの時間』(1995)本川達雄,中央公論社,p230.
※5 須田斎(2002)社会的エネルギー消費量と人間の寿命との相関関係-生物学的視点からエネルギー問題を問う-,数理生物学懇談会 ニュースレター第37号,p4-9.
※6 http://www.slowlife.info/index.html
※7 Shaday Michan and David Sinclair (2007) Sirtuins in mammals: insights into their biological function. Biochemistry Journal 404: 1-13.
※8 Marcia C. Haigis and Leonard P. Guarente (2007) Mammalian sirtuins - emerging roles in physiology, aging, and calorie restriction. Genes & Development 20: 2913-2921.
※9 http://www.thebulletin.org/minutes-to-midnight/timeline.html