やわらかサイエンス

地球の健康管理:松花江~アムール川汚染から考えること

第35回担当:重廣道子(2006.04)

前回のやわらかサインエスでは,流氷が出来る秘密が解き明かされました。厳冬期にオホーツク~知床半島海沿岸に漂着する流氷は,ロシアのアムール川から海を渡ってくるということでしたね。その道のりを思うと,なんだかロマンチックな気持ちになるものです。ところがそうそう感傷にひたってはいられない事態が起きているようです。一体何が?


この夏には,流氷を追うかのように,汚染物質がオホーツク海沿岸に到達するのではないか,という疑念が広がっています。汚染物質の発生は,2005年の11月にさかのぼります。中国吉林省吉林市で石油化学工場の爆発事故が発生しました。事故の結果,約百万トンの有害なベンゼン化合物等が,アムール川の最大の支流である松花江に流出したのです。この汚染物質は,事故発生から約2週間後には,アムール川に流入したといわれています。これにより,松花江下流のアムール川に生息する魚類,川底植物への多大な被害,生態系への影響が懸念されました。2月に,アムール川で潰瘍のある魚が見つかったことにより,ベンゼンによる河川汚染被害拡大の可能性が指摘されました。さらに,アムール川にとどまらず,日本海,夏にはオホーツク海沿岸に到達するとの予測が出されました。


なぜ11月に中国で発生した事故が,半年以上も経過してから日本に影響を与えるのでしょうか。もちろんその移動距離が長いということもありますが,松花江は冬季に凍結します。したがって,汚染物質も一時その氷にとじこめられます。また,河の流れが凍結することにより,拡散していた汚染物質がある地点に凝集されます。春にはこの氷が融解し,川の流れと共に汚染物質も一気に流出するのではないか,という懸念が持ち上がりました。そこで,北海道は,2月に環境省に対し,氷が融ける前に,オホーツク海や日本海沿岸で汚染の調査をするように要請しました。


汚染物質到達の懸念が高まる一方で,被害はそこまで広がらないのではないか,という見解もあります。冬季にアムール川河口まで汚染物が達した場合,強風の影響で,サハリン東側の海岸に汚染物質が押し付けられ,そこに留まるのではないか,との見方もあります1)。また,流出したといわれているベンゼン,ニトロベンゼンは揮発性なので,移動する間に揮発し濃度が薄くなるでしょう,という意見も出ています。



一体,汚染物質はオホーツク海沿岸に到達するのでしょうか?様々な議論が起こる中,解氷の季節を迎えたこの3月,中国の国家環境保護総局長は,河川汚染のその後に関する見解を発表しました。河川の解氷で有害物質が流出する二次汚染は起きていないと公表,松花江に生息する魚類,あるいは河川水で育った作物等の安全性を強調しています。しかしながら,安全性を裏付ける科学的データは提出されていないとのことです(3月12日付け北海道新聞)。


汚染物質が日本に到達するか否かはもちろん重大な問題ですが,忘れてならないのは,汚染物質が中国の河川に大量に流出し,水が汚染されてしまったという既に発生してしまった事実です。では,水は汚染されたままになってしまうのでしょうか?


人間に備わる自然治癒力のように,河川もきれいな状態に戻ろうとする自浄作用を持ちます。自浄作用は以下の三つに分類されます。


  1. 物理的作用:希釈,拡散,沈殿
  2. 化学的作用:酸化,還元,凝集,吸着
  3. 生物的作用:微生物等による吸収や分解など

河川に流入した汚染物質は,これらの浄化作用により,時間とともに濃度が低下するものです。この自然の浄化作用を,人為的に高め,水質保全を行う処置も取られています。しかし,許容範囲を超えてしまうと,自浄作用でも手に負えなくなります。例えば,充分な流量が確保されなければ希釈・拡散は起こりませんし,滞留が発生する,あるいは沈殿して一箇所に凝集されることもあります。このように,環境条件により汚染物質の行方は左右されます。もちろん汚染物質を出さないことが重要ですが,万が一流出してしまった場合,汚染物質がいつ,どこに,どのような形態で,どれくらいの濃度で到達するのか,ということを予測し,対策を講じる必要性が生じます。そこで,様々な条件を踏まえてシミュレーションが出来るようなシステムの開発が進められています2)。様々な検査をし,病気の進行状況を把握し,適切な処置,治療方法をとることと同じです。


以前もお話しましたが,水は,人体をめぐる血液のように地球を循環します(やわらかサイエンス第14回 2004.07)。今回の中国での有害物流出問題のように,水がどこかで汚染されると,地球も,地球上の生物も病気になるのです。また,水が汚染されていれば,地球のどこかが病に犯されているということになります。汚染物質は,河川,海流にのるばかりでなく,汚染された水で育った作物,魚介類等を媒体として,我々の生活に入ってきます。ですから地球が健康であるということは,地球上に住む生物にとって,大切なことです。したがって,地球にもお医者さんが必要なのです。水文学者,地質学者等の地球科学者は,この地球のお医者さんとしての役割を担っています。お医者さんは診断をし,薬を処方し,時には手術をしてくれますが,何より大切なのは,日々の健康管理です。そしてその管理をするのは私達です。