
雪の結晶から導かれる叡知の結晶
昨年のアキレス腱断裂から早9ヶ月。手術をせずにギプスで固定するだけの「保存療法」で腱はつながり、先日久しぶりにスポーツ復帰しました。人間の体の自然治癒力に感動すると同時に、腱の組織が手術ナシで自然につながる現象はとても不思議に思えました。
今回のやわらかサイエンスでは、自然界で起こる「自己組織化」という現象について、その最初の「入り口」を開けてみたいと思います。


今年は全国的に豪雪に見舞われています。ここ幌延町でも毎日のように雪が降り続いています。ところでみなさんは雪の結晶をご覧になったことはありますか?
雪の結晶は写真のように六角形を基本にし、さまざまな形をしています。まるで人の手で作ったかのように、とても整った形をしていますね。しかし雪の結晶は、水の分子が集まり、「自然に」できあがったものです。このように、誰かの手を借りずに自然に出来上がることを「自己組織化」といいます(※1)。


いまあなたの目の前にあるパソコンは、自然に組み上がったものではなく、誰かが作ったものです。パソコンのみならず、建物、自動車、携帯電話、鉛筆に衣服もそうです。部品や材料を一カ所に集めておくだけで製品ができてしまう、そんなことはあり得ません。
パソコンが組み上がった状態というのは、内部の部品がその役割を果たすために配置されているように「秩序」があります。一方で、基板やネジなどが集められて山になっていたら、それはただ「ランダム」に積まれているだけです。 雪の結晶は、ランダムな水の分子が秩序を持って作り上げられた自己組織化の産物、と言うことができます。
水と油は仲が悪いですね。油汚れを水で洗い流すのは至難の業です。そこに洗剤が登場すると、さあ不思議! 油汚れを落とし、最終的に水で洗い流すことが出来てしまいます。洗剤には水とも油とも仲の良い界面活性剤が含まれており、図のような原理で油汚れを落とします。かつてテレビのCMでも見たことがあるような図ですね。

ここにも、油は油で集まり、水は水で集まる、という自己組織化が働いています。台所で洗い物に使っている洗剤は、界面活性剤の自己組織化を利用したものであると言えるのです。
水と油の両方に愛敬を振りまく物質(両親媒性分子)は、何も台所洗剤だけで活躍しているのではありません。実は、私たちヒトを含めた生命すべてに大きく関わっているのです。 ヒトの体は、約60兆個の細胞からできています。そして、その一つ一つの細胞は、リン脂質という両親媒性分子による自己組織化で形作られているのです(※2)。

この脂質の二分子膜を作るには特別な操作は必要ありません。脂質分子をコップの水の中に入れるだけで作り上げることができるのです。われわれの細胞は、こういった膜の中に、DNAやミトコンドリアなどを含み、生命活動を行っているのです。このことは、生命の誕生を考えた時に、やわらかサイエンス第27回で触れた「有機物の無機的合成」からの次のステップを説明することにもなります。多種多様な有機物を自らの体内に最初に取り込んだのは、自己組織化で形成された脂質二分子膜なのかも知れません。
この原理を利用して膜内に薬剤を包含させれば、ヒトの体になじむマイクロカプセルとなって医療への応用が期待できます。また、自己組織化した細胞・組織とシリコン基板を組み合わせることによって自律するハイブリッド型デバイスの開発も夢ではありません(※3)。

■血管内を移動するマイクロマシンやマイクロカプセルのイメージ
生物における自己組織化が注目されているもう一つの理由は、神経細胞を含む脳の発達が、まさに自己組織化によってもたらされているという点です。脳の神経細胞の数は、生まれたての赤ちゃんの時が最大で、その後少しずつ減少していきます。神経細胞の数が減っていくのに、なぜ大人の方が赤ちゃんよりも知能を持っているのでしょうか?それは、神経細胞同士の結びつきの違い、すなわち神経細胞がどれほど密にネットワークを構築しているかの違いです。そのネットワーク構築そのものが、脳の自己組織化なのです。


このネットワークを構築する自己組織化は細胞レベルの話に留まりません。雪の結晶がその枝葉を様々に広げていくように、そして脳の神経細胞が結びついていくように、社会の様々なネットワークシステムもまた複雑に、そして確実に広がっています。航空機輸送の発達やインターネットの普及は、世界の人々の時間的・空間的垣根をなくしました。ヒトとヒトとのつながりが加速度を上げて増殖しています。
そういった観点に立ち、近年は化学や生物といった分野だけでなく、企業経営や社会・経済の仕組みまでも、自己組織化を基にした説明が試みられています(※4)。

雪の結晶は、自己組織化により六角形を基本とした似たような形が作られますが、湿度や温度のわずかな違いによって無数のパターンを作ります(※5)。
ヒトについて考えたとき、体の細胞膜や神経細胞ネットワークが自己組織化という同じ現象に従って構築され、体の基本的な構造は同じであるにもかかわらず、互いに「全く同じ」性質や人生を持つヒトは自分以外には存在しません。無数のパターンのヒト、無数のパターンの社会・文化がこの地球上に存在しています。ヒトとヒトとが出会い、家族、地域、社会全体と、すべての段階でお互いに影響を及ぼし合います。
生態系ではさらにもっと多くの生物同士が、そして地球環境ではさまざまな要素(太陽光線、地球内部のエネルギー、大気循環、水循環、生物)同士が、複雑に絡み合って現在の地球を作り上げています。
単純な自己組織化からすべてが始まるなら、複雑な相互作用の背後に横たわる原理を理解することで、(雪の結晶の形を予測するように)今後私たちの社会がどのような形をとるのか、地球が進んでいく未来は明るいのか、そういった予測をも正確に導き出せるようになるのかも知れません。果たしてそれはまさにヒトが手にする叡知の結晶の一つとなるのでしょうか?
このことについては「自己組織化」に続き、「複雑系の科学」の世界へと進んでいくことになりますが、それは別の機会に譲りましょう。
私の机の上は整頓したと思ったら、いつの間にか書類で散らかってしまいます。書類を片づけてくれるような自己組織化は、どうやら起こらないようです。
※1 都甲潔、江崎秀、林健司、自己組織化とは何か、講談社、1999
※2 http://www.chem.utsunomiya-u.ac.jp/lab-July/Kaimen.htm
※3 http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20040226301.html
※4 スチュアート・カウフマン 著、米沢富美子 訳、自己組織化と進化の論理、日本経済新聞社、1999
※5 http://www.lowtem.hokudai.ac.jp/ptdice/#
画像提供
■雪の結晶br /> 中谷宇吉郎雪の科学館(石川県加賀市)
撮影:神田健三氏
http://www.city.kaga.ishikawa.jp/yuki/