やわらかサイエンス

メイラードの迷宮

第24回担当:秋山 克(2005.05)

行楽シーズンの到来です。やはり一番の楽しみは、手作りのサンドイッチやみんなで食べるバーベキュー!炭火で焼いたお肉の、キツネ色に焼けた表面とその香ばしい匂いは食欲をそそります。空腹中枢を刺激する色と香ばしい匂いの正体はなんなのでしょうか?今回のやわらかサイエンスでは、その色と匂いに科学のメスを入れた「おいしい話」と、そこから導かれる「ちょっとほろ苦い話」を紹介したいと思います。


やきにく    パン    せんべい

食品がキツネ色など茶色く変色することを「褐変反応」といいます。そしてその反応も「酵素的反応」と「非酵素的反応」に分けられ、さらに非酵素的な褐変反応も、「カラメル化反応」と「メイラード反応」の2種類に分けられます(*1)。


冒頭で触れました焼き肉や、サンドイッチを作る時に切り取った食パンの耳のキツネ色も、さらにはコーヒー、紅茶、味噌に醤油、薫製や佃煮、そしておせんべいのあの色も、実は非酵素的な褐変反応であるメイラード反応が深く関わっています。


図

メイラード反応は別名アミノカルボニル反応ともいい、主に食品に含まれるタンパク質やアミノ酸と糖が化学的に作用して褐色物質を作る反応です。たとえばクッキーを焼く場合を考えてみましょう。材料である卵や牛乳にはアミノ酸が豊富に含まれています。また砂糖も材料として添加します。生地を焼く過程でこれらが化学反応を起こし褐色物質を作るのです。パンなどの場合も、小麦粉に含まれるタンパク質や糖質によって、同じような原理で色が付きます。色だけではなく、メイラード反応では香味成分の生成も起こります。焼き上がりのパンや焼き肉の香ばしさはまさにメイラード反応によるものなのです。味付けに砂糖と醤油を加えると香ばしさが増すことは、みなさんも経験的に知っています。原理は知らずとも、私たちは日常的にメイラード反応を利用して料理を作っているのです。


さらに、メイラード反応が進んでいくとメラノイジンという物質が生成されてきます。実はこのメラノイジンは強力な抗酸化作用を持っています。さまざまな病気や老化とも関連があると言われている活性酸素を、メラノイジンなどの抗酸化物質は無毒化してくれるのです。メイラード反応はヒトの体の中でも起こっていることが明らかとなり、メラノイジンの体内での生成も含めて、メイラード反応の生理的な作用を調べる研究も進められています(*2)


一方で、メイラード反応によって見た目も香りも良くなるからと言って、あまりにも加熱しすぎればみなさんご存じのように「焦げ」ます。焼き魚を真っ黒にしてしまったり、焼き肉で網の隅に黒い固まりを除けた経験のある方は多いと思います。焦げの中にはヘテロサイクリックアミン(HCA)といった発ガン性物質も含まれており、大量に食べることは好ましくないと言われています。ただその発ガン性物質の含有量も微量であり、さほど心配はいらないとも言われますが、それ以前に焦げの苦みがきつくて焦げた部分はあまり食べたくはありません。


ちなみに、焼き魚に大根おろしというのは定番メニューですが、なんと大根おろしに含まれるジアスターゼやオキシダーゼという酵素には、焦げに含まれる発ガン性物質を分解する能力があります(*3)。美味しい取り合わせとして受け継がれてきたメニューには、経験から生まれた先人達の知恵がたくさん詰まっているんですね。


さんま

ところで、みなさんはアクリルアミドという言葉を聞いたことはありますか?アクリルアミドは、紫外線や熱などによって重合し、水に溶けない重合体のポリアクリルアミドを生成します。その性質を利用して合成樹脂や接着剤、土壌改良剤、塗料などに用いられています。そのアクリルアミドは日本では劇物に指定されており、国際がん研究機関により発ガン分類で2A(ヒトに発ガン性を示す可能性がある物質)に指定されています。


2002年、そのアクリルアミドについて、スウェーデンの研究者らによって衝撃的な研究結果が報告されました。高温で調理されたポテトチップスやフライドポテトなど、日常的に口にする食品からアクリルアミドが高濃度で検出されたのです(*4)。実はアクリルアミドも、メイラード反応によってアミノ酸と糖の化学反応から生成されるのです。


現時点ではFAO(国連食糧農業機関)やWHO(世界保健機関)も、アクリルアミドを低減するための食品製造技術の改善や家庭向けの栄養指導など、アクリルアミドを減らすための勧告を行っています。また、食品に含まれるアクリルアミドの生成量ならびにアクリルアミドが人体に与える影響を明らかにすべく、世界各国で研究が進められています(*5)


ここまで読んでこられて、じゃあいったいメイラード反応って体にいいのか?悪いのか?と判断に迷っている方も多いでしょう。


天使と悪魔

結論から言いますと、今回のように食品の安全に対する問題意識を持つことももちろん大切ですが、とにかく他品目にわたってバランス良く適量を食べることが大切、それに尽きると思います。アクリルアミドの件でもWHOは「揚げ物や脂肪分の多い食品が過剰にならないように、果物や野菜を多く含むバランスの良い食生活を送るべきだ」と勧告しているのです(*6)。


われわれの身の回りには無数の情報があふれていますが、目の前を流れてくるたった一つの情報にこだわってしまうと、「食」というものの本質を見失う危険性があります。そして自ら迷宮に陥ることになり、そこから抜け出せなくなってしまうかも知れません。


かつて食物繊維はヒトの食生活や健康を考える上で何の意味もない邪魔者でしたが、今や健康成分の代表格です。また、体に良いとされて積極的な摂取が推奨されたリノール酸も、最近の研究で過剰摂取の弊害が指摘されています(*7)。もちろん、そんなリノール酸も適正な摂取なら私達の健康にメリットはあるのです(*8)。


研究が進むことによって、一つの食品がさまざまな角度から見つめ直されるようになりました。そこから出てくる情報に一喜一憂するのではなく、冷静に情報を受け止め、自分で「考える」ことが最も大切なことだと思います。食品に対しても情報に対しても、ヒトは雑食であるべきだし、よく噛んで自分なりに消化すべきだと思うのです。


大勢で焼き肉をやると肉だけを食べる不届き者がいますが、メイラード反応やWHOの勧告を説明することによってバランス良く食べることの大切さを知ってもらいましょう。