
地層中に残された地震の証拠
2004年10月23日新潟県中越地方で,深さ13km,M6.8の新潟県中越地震が発生し,周辺に大きな被害をもたらしました。改めて,地震の恐ろしさを痛感させられました。 また,政府の地震調査委員会によると今後30年以内に東海地震の起こる確率は「きわめて切迫している」と定めております。極めて,深刻な状態であるといえます。
今後発生する地震の情報を得るために,過去の地震を研究する動きが1980年代の後半から普及し始めています。過去に起きた地震,「古地震」の研究は,過去の地震の研究から将来の地震への情報を得ようとするもので,最近急速に進歩してきています。古地震の研究は,歴史時代から第四紀と大きな幅があり,歴史学,考古学,地形学,地質学,地球物理学など多岐にわたるために,多くの分野にまたがる学問となっています。
今回のやわらかサイエンスでは,その古地震の研究の中から「地層中に残された地震の証拠」と題して進めていきます。
東海から四国にかけての太平洋沿岸海底に「南海トラフ」と呼ばれる細長い凹地があり,海洋プレートが陸のプレートに沈み込んでいます。そして,南海トラフの西半分(図中A・B)から発生する巨大地震が「南海地震」,東半分(図中C・D・E)から発生する巨大地震が「東海地震」と呼ばれています。最も新しい南海地震は1946年12月21日,東海地震は1944年12月7日です。後者は,東南海地震と呼ばれ,この地震時に破壊の有無が良くわかっていないE地域で,近々,おおきな地震が発生する可能性があると考えられています。

図 南海地震,東海地震の発生場所(青点は,遺跡で地震跡が見つかった場所)
(太田・島崎編「古地震を探る」古今書院p.121より図を編集)
過去の地震の発生時期を特定するためには,人間が残した史料が手がかりの一つとなります。その中でも江戸時代には,豊富な史料があり,1605年,1707年,1854年の3回の地震が起き,1605年,1707年では南海地震,東海地震がほぼ同時に,1854年では東海地震後31時間程度で南海地震が起こったことがわかっています。
しかし,室町時代以前になると史料が激減しており,史料だけ解釈すると,南海地震,東海地震の規則性が認められなくなっていたり,地震の周期が江戸時代以降(およそ100~150年周期)よりも倍近く(200~300年)になっていたりします。では,本当に,規則性が見られなくなったり,地震の周期が変わっていたりするのでしょうか?
この謎を解明する手がかりのひとつは,地層中にあります。それは,地層中の地震跡を見つける方法です。この方法なら,史料が少ない,あるいは有史以前時代の地震の発生時期も検討することができます。例えば,地層中における断層の変位量の違いや,噴砂現象などの液状化跡の層準などから地震発生時期を推定することができます。図の青点印は実際に遺跡から地震跡を検出した場所を示しています。その結果,史料で見つかっていない地震の痕跡が次々と検出されており,その謎は,今後,解明されていくこととでしょう。
過去の地震は史料だけではなく,地層中からもその跡が残され,その情報はこれから発生する地震の検討に生かされているのです。興味のある方は,独立行政法人 産業技術総合研究所ホームページにアクセスしてみてください。
https://unit.aist.go.jp/actfault-eq/seika/nenpo.html
太田陽子・島崎邦彦編:古地震を探る,古今書院,1995.
独立行政法人 産業技術総合研究所 活断層研究センターホームページ
https://unit.aist.go.jp/actfault-eq/