
「日本のブナ林」の話
新緑の季節となってきました。天気の良い日は,どこかへ遠出をしたくなるのは私だけでしょうか?
先日,長野県鬼無里村の奥裾花自然園に行ってきました(あいにくの雨でしたが)。今の季節,そこでは,およそ81万本の自生のミズバショウが見頃をむかえています。その自然園には,ブナの原生林があり,ミズバショウ以外にも,ダケカンバ,クマザサ,ツルアジサイなどの植物が見ることができます。ブナは,若葉の薄い緑がまさに新緑の美しさでした。

鬼無里奥裾花自然園にて撮影(2004.5.16)
さて,このブナ林なのですが,日本では,特に,東北地方の山々(朝日連峰,栗駒山,八甲田連峰など)で多くみられ,白神山地は「世界遺産」に指定されています。しかし,このブナの森は,近年になって,伐採が行われ,減少し始めており,貴重なものとなってきています。私たちの会社の近くにある神奈川県丹沢山でも標高1000mを越える地域にブナ林は生育しておりますが,現在の気候に合わない(太平洋地域特有の冬季間の乾燥)ことや酸性雨などいくつかの原因で,その数は減少傾向あるそうです。
ブナは,もともと,日本海側の多雪山地に生育する樹木で,冬に雪があるような湿潤であり,厚い土壌の場所に好んで育ちます。

鬼無里奥裾花自然園にて撮影(2004.5.16)
このようにまとまったブナ林を日本列島で見ることはできますが,世界的に見てみると,その他にヨーロッパとアメリカ東部しか分布していません。今現在,世界的に3ヶ所にしか分布していないブナ林ですが,地質時代第三紀(およそ3000万年前)当時,もともとは一つでした。当時の地球は温暖だったため,ブナ林やトウヒなどの亜寒帯針葉樹林の祖先はカナダの極北地域など北極をとりかこむ地域にわずかに分布しているだけでした。この林のことを「第三紀周北極植物群」と呼びます。その後,寒冷化に伴って,南下しはじめ,まず,トウヒなどの針葉樹林が北方にとどまって亜寒帯林として分離独立しました。次に,ブナ林は,温帯の北部で優占するようになります。その際,乾燥地域によって隔てられ,日本,ヨーロッパ,アメリカ東部地域のような現在に近い分布になっていきました。
しかし,地質時代第四紀(およそ200万年前~)になると,ブナ林は,繰り返された氷期の大陸氷河の影響を大きく受けることになります。ヨーロッパとアメリカ東部では,大陸氷河によって滅亡する植物が相次ぎました。南へ逃れようとするのですが,ヨーロッパでは,アルプスやピレネー両山脈が壁となり逃げ場を失い,アメリカ東部では五大湖付近まで大陸氷河が発達したため,ブナ林の植物相は貧弱・単純化していまいました。
その一方,日本列島では,幸いに,大陸氷河は発達せず高山地域にのみに山岳氷河ができたにすぎませんでした。そのため,滅亡した植物は少なく,ほぼ第三紀周北極植物群の原形を現在まで保っています。言い換えると東北地方のみごとなブナの森などは,まさに「生き残り」といってもよい存在なのです。
千小泉武栄:山の自然学,岩波新書,1998.